大学1年の授業(8)「社会問題を考えるPenser le social」のゼミで習ったこと

この授業は、グループに分かれて授業が行われますが、共通のシラバス(社会科学の著名な学者の論文の一部)を使います。私の担任の先生は博士課程かリサーチャーかの若い先生でした。論文は時には100年ほど前の原文もあり、いろんな社会科学の概要を理解するものでした。日本で100年前、50年前の論文を読むことになったら、言い回しや旧書体でかなり苦労するだろうけど、フランス語の場合は学生が直接読めるのはすごいなと感じました。

最初の授業は、論文を読むときの理解を助ける方法として、線の引き方とか、まとめ方などの実践例を習いました。

毎週論文を読んで、A4半ページほどの課題を提出します。どんな理由であれ欠席3回で不合格です。評価は、出欠・課題提出で50%、試験は口頭で50%でした。

読んだ論文一覧、コメント

マックス・ヴェーバー『職業としての学問』

例えば政治学教授なら政治分野の専門家であるけども、だからと言って大学で政治家のようなこと、つまり世の中こうなるべきという意見を、教室の中で学生に押し付けてはダメだよって言ってます。専門家=オールマイティじゃない、できないこともあるということは、どんな仕事でも当てはまるような気がして、教授も数ある職業の一つなんだと感じました。

エミール・デュルケーム(著書の日本語版はよくわかりませんでした。直訳すると『社会理論の要素』です)

社会学の授業で取り上げられ、社会的事実(fait social)について深めた授業でしたが、教える先生が違うと吸収の仕方も変わる覚え方もかわりますね。

マックス・ヴェーバー『経済と社会 第1部 社会学のカテゴリー』

これも社会学で習ったヴェーバーの理解社会学を深める内容でした。先生は傘をさす行為を例に出しました。「雨が降ってるから傘をさす」とだけ言えば、それは自然現象に対応するための行為で社会的には意味を与えていないけども、カンヌの映画祭で(もし雨が降って)車から出てくるVIPにエスコートが傘をさす時、駅から出るときに傘を広げる時、同じ「傘をさす」という行為でも意味が違います。この意味を扱うのがヴェーバー
社会学です。この授業を思い出すと、私の頭の中は、槇原敬之の「この傘をたためば」のサビがぐるぐると巡るのでした。

ゲオルグ・ジンメル(著書の日本語版はよくわかりませんでした。直訳すると『社会学の問題 他』"社会形式が如何に維持されるか"という章になります。)


ジンメルの形式社会学は、どんなグループ・社会の中でも起きる動きを対象としました。グループ(数人でも、国家レベルでも)を維持するためにはどんな形がいいのか、どんなことが起きるとグループの存続基盤が揺らぐのかを解明する社会学をめざしました。
永続できるグループとは、必ず新規加入者と退会する人が常に少数存在し、グループ内での意見が合っている人数が合っていない人数より多く、時系列的に途切れず、土地的ではなく精神的な繋がりを持っている云々ということができて長く続くんだそうです。
そして、グループ内にはリーダー役がいること、リーダーが象徴的であり、メンバーはそれぞれの役割の枠に収まって活動するグループは安定します。
組織、特に国や会社をイメージ考えるとそうだなと感じました。トップにカリスマ性があると、その次の世代が落ち着くまで時間がかかるし、職場の人事異動も組織の維持のためですもんね。

カール・マルクス『資本論』''本源的蓄積の秘密'

Karl Marx, 1973 (1867), « Le secret de l'accumulation primitive » (Chap. 26)  in Karl Marx, Le Capital, Livre 1: Le développement de la production capitaliste, pp. 153-156

カール・マルクス (『経済学批判』なのかもしれませんが、確認しきれませんでした。m(._.)m)


マル経、初めて触れました。アダムスミス以来の経済学、そして資本主義に対する批判、こういうものだったのですね。労働者が資本家の利益最大化のための道具のように扱われていて、これを読んだら労働者階級の人たちは資本家に対して反旗を翻したくなるでしょうね。

マルセル・モース『身体技法論』


たまたま先生が宿題を出すのを忘れてしまって、予習はあまりしませんでした。モースの幼少時代の泳ぎ方とその当時の最新の泳ぎ方が違う、フランス軍が使う道具をイギリス軍は使えないといったように、体得した動きから社会の違いを理解することができるのを紹介していました。
授業の後の課題で、身の回りのことで身体技法を説明しなさいというのがあって、国による挨拶のちがいを書きました。

カール・ポランニー『大転換ー市場社会の形成と崩壊』


アダム・スミス以降の市場経済は、実は昔から社会の一部として脈々と続いていたものであり、経済が社会を規定する(救う)のではないよ。経済一辺倒で行くと貧困や環境破壊などの問題が大きくなるよというもの。ちょっとマルクスの影響もあるのですが、金持ちと困窮が生まれる理由を突いている点はうなずけるものがあります。

アルフレッド・シュッツ(日本語訳はわかりませんが、英語タイトルは"The Stranger: An Essay in Social Psychology")


この論文は学科共通のシラバスにはなく、社会心理学を専攻している先生が配っていました。なので、他のクラスは取り扱っていないのかもしれません。
移民など、外国人が異文化の世界に放り込まれ同化しようとするとき、その外国人はどんな視点で異文化に溶け込んでいくのかを論じたものです。
この論文について、英語のクレイアニメでわかりやすく解説した動画'Claymation of The Stranger: An Essay in Social Psychology in Alfred Schütz'を見れば、外国で生活したことがある人、方言の違う町に引っ越して学校に通ったことのある人などは、「あるある」とうなずくことになるでしょう。とかいう私も、シュッツの論文はベルギー(ヨーロッパ)の若者学生の中にいるアジアなおばさん留学生の状況を語っているのではないかと思わせてくれました。