ゴミ拾いしながら考える

3週間ほどですが、週末時間があるときに近所のゴミ拾いをしています。

ベルギーに来て感じるのですが、町にはごみ箱がたくさんあるのに、ゴミや落書きなどで汚い場所がたくさんあります。「SNCB車両の落書き問題(ひとり自由研究)」でも書いたように公共交通機関も汚いです。

例えば、近所の停留所です。前の週末にゴミを拾いましたが、金曜にはざっと15個くらいの吸い殻がありました。椅子の上には飲みかけのドリンクが置きっぱなしだったので、近くにゴミ箱に片付けました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この写真は、バスの窓枠に残された落書きです。座席が一直線に切られていたり、股の部分を彫刻したのもありました。
 
 
  これは、バス停の地図のパネルに書かれた落書きです。
最後の写真は、バス停の枠のガラスにタグをしています。ガラスの奥にはよく見かける金属製のゴミ箱があります。
 
 郵便ポストも結構きています。写真がないので、ググってこれだというイメージを見つけました。素敵なブリュッセルの写真とともにあるので、粋な郵便ポストにも見えそうです。
 
 
汚いのをきれいにすることで私ができるのはゴミ拾いだ(落書き消しは油性だから難しそう)、そろそろ春になって家にいるよりは外に行きたいので、ならついでにゴミを拾おうと手袋などの道具を買いました。
 
手元のレバーを握ると先端が閉まってゴミや落ち葉を拾える道具を旦那と子供用にと買いましたが、試してみると1mくらいの長さがあり、1gもしないごみを握ってつまんで袋に入れるのに腕を結構上げる必要があるので疲れます。
初日は大きなゴミがあったので役立つ道具でしたが、2回目以降は、吸い殻拾い用に割り箸の先端に紙を挟めてゴムを巻いてピンセットにしました。軽くて使い勝手良好です。
 
一人ゴミ拾いをしていると、いろんなことを考えます。
 
数日前、バスを待っているときに大学生くらいの女性が「吸い殻は自然分解するよ」と言ってタバコをにこやかにポイ捨てしていました。
 
インターネットで見てみると、タバコの吸い殻は自然分解されにくいという表現がありましたが、これは、時間はともあれ自然分解は可能だととらえられる表現です。だから、女性の言い分が100%間違っていると科学的に説明付けることは難しいような気がしました。
 
なので、タバコの吸い殻について、「ポイ捨てする人=悪」という概念を一度まっさらにして、なぜ私はタバコの吸い殻を含めゴミを拾うのかを考えてみようと思いました。
 
ポイ捨て実行者は、ポイ捨てする正当な理由を持っています。もし自然分解ができ、分解した成分が自然にとってプラスになるのであれば、拾う側は貴重な資源を焼却炉に入れて灰にしてしまい焼却炉の負担を増やしていることになります。
 
この世は、今までこれが良いと思われていたことが覆されたりすることはあり得ます。なので、環境を理由にゴミ拾いをするという考えを排除してみました。
 
ゴミ拾いをする理由を下のように考えてみました。そうすると、不思議とポイ捨てする人に向ける怒りのようなものがなくなり、ゴミ拾い最中に人が通行していようがゴミ拾いに集中できるのです。
 
1.清掃局員から幸せをいただける

ゴミ拾いをしてきれいな区間があると、
→清掃局員が清掃を早く済ませることができる
→その分清掃局員は早く仕事を終えられる。
→早く終えられれば清掃局員の体力負担が軽減され、ちょっと幸せが生まれる。
→清掃局員の小さな幸せが増えれば、清掃局員が過酷な作業だといってストライキを打つ回数が減る。
→ストライキが減れば、みんなうれしい。私もうれしいよ。


2.私もポイ捨てしてないとは言えない

よくあるゴミに、食品などのプラスチック袋を開けた時に生まれる三角形の端切れや、キャンディーなどの包装紙、ティッシュなどがあります。
→今までの人生で、ポケットに入れていたこのようなゴミがぽろっと落ちたり落としたりしたことはあります。
→そのゴミに思いをはせると、今頃わたしから出たゴミはどこにいるんだろうと考えてしまう。
→私が落としたゴミを探し求めるのに苦労するよりも、近くの見えるごみを拾おう。
→やる気があるときにゴミ拾いしておいて、人生におけるごみ排出総量よりもごみ拾い総量が多くなれば、死に際に満足できる気がする。


近頃みうらじゅんが出ている映像を見ていて、普段人が気にも留めない事象に多大な価値を見出す素晴らしい人だと感じています。世間が作り上げる構図に簡単に便乗せず、考え直してみることは大事だなと学んだので、ごみ拾いしながらいろんなことを考えてみました。

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